小野路宿復元図|小野路の歴史と景観

小野路宿復元図|小野路の歴史と景観

町田市北部・多摩丘陵の深い谷戸に開かれた小野路宿は、江戸時代に大山詣りの宿場町として賑わいました。上流から上宿・下宿で構成され、幕末には40軒(うち旅籠6軒)を数えた街村形態の集落は、現在でも地割に大きな変化はなく、往時の面影を留めています。
また、小野路地域は東京都で唯一『にほんの里100選』に選定されているほか、周辺は図師小野路歴史環境保全地域に指定されています。

小野路の歴史

古くから街道の集まる要衝として栄え、鎌倉時代には上野・信濃から鎌倉へ至る鎌倉街道上道(最も主要な鎌倉街道)が小野路宿の北側の尾根を通っていました。

1617年、徳川家康の遺骨を久能山から日光に移す際に御尊櫃御成道が整備され、小野路を通過しました。
御尊櫃を乗せた輿が小野路村の手前、向坂で破損し、鍛冶屋を呼んで修理した小野路村の尽力に対して、幕府は助郷を永久に免除しました。

その後、御尊櫃御成道は東海道平塚宿と甲州街道府中宿を結ぶ脇往還となり、江戸中期に大山詣りが流行すると、粕壁(春日部)から府中を経由し大山に至る府中通り大山道の宿場町として賑わいました。

幕末には、後に新撰組となる近藤勇や土方歳三が剣術の指導のため、布田(調布)や日野から小野路の小島家や橋本家にしばしば訪れていました。

1827年 小野路村外34ヶ村組合村結成、見張番屋設置
1875年 小野路郵便局開設(1937年 大蔵に移転し鶴川郵便局となる)
1891年 小野路登記所開設(1943年 町田に移管)


小野路の景観

小野路宿は東京郊外、多摩ニュータウンの至近でありながら、宿場町として賑わった往時を偲ばせる町並みが残されています。

多摩ニュータウンの開発以降、町田と多摩センターを結ぶ主要道路として交通量が増加しましたが、道幅は宿場町時代と変わらず離合が困難な状態となっていました。
2004年から道路の拡幅と歴史的景観の保存を両立する整備事業が始まり、板塀や水路などが整備されました。
町田市では景観形成誘導地区に指定し、歴史的景観や背後に迫る丘陵の緑との調和を重視した景観づくりが行われています。

2013年には旧旅籠「角屋」を改修し、小野路宿里山交流館が開館しました。

下宿の町並み 右手は小島資料館
下宿の町並み
上宿の町並み
小野神社前交差点 左手は小野路宿里山交流館
小野路宿里山交流館